ニューヨークは都会なのにカラスがあまりいない。その代わり、リス(squirrel)がいる。
公園でゴミ箱にたかってえさを漁り、人をも恐れぬその振る舞いは、まさにカラスに匹敵すると言える。多くのリスが狂犬病の病原体を持っているので、へたにえさをやらないようにと注意された。かまれたり引っかかれると伝染するからだ。それでも、仕種を見ているだけでもかわいい。普段歩く時もサササっという素早さではなく、どたどたと尺取り虫のよう。時折、顔を洗う仕種も微笑ましい。
しかしこちらの人は見飽きているのか、そんなリスに見向きもしない。目の前を歩こうが、どんなに面白い動きをしていようが関係ない。そんなものは視野の中に入っていないという感じだ。せいぜい、子供がたまに指をさす程度だ。リスの方も、こちらがじっと見ていることを知ると、逆に顔を上げて不思議そうな顔をするほどだ。
日本のように、かわいいからといって過度の感心を示し、溺愛するようなことはない。むしろ少し距離を置くことで、それぞれがそれぞれに快適な生活空間を確保しているのだ。だからリスも伸び伸びと都会のまん中で暮らしていけるのだろう。そんな距離感はリスと人間もそうだし、人間と人間もそのように見える。
地下鉄がいい例だ。ラッシュアワーに当たる時間は、さすがにニューヨークでも混雑するが、日本のようにすぐ後続の列車が来るというのに無理矢理体を押し込んでくる人はいない。乗れないと分かるとおとなしく次の列車を待つ。それはマナーと言うより、他人との肉体的な距離をゼロもしくはマイナスにしたくないという気持ちからだろう。だから、満員電車で足が宙に浮くようなこともなければ、列車の中で転んだり押しつぶされたりすることもない。
それが大都市で生きる知恵なのではないか。東京はあまりに急激に大きくなったのでその知恵すら獲得できていないのではないか。
夏の公園の木陰でのんびりとリスを見ながら、そんなことを考えていた。
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Gimme water!
安全考(irritating)