10月31日 Halloweenの夜に
今朝一番で「Int'l Econ」の試験。いつもより早く部屋を出て、大学で予習をするつもりで教室に行ったら、すでに教室は学生で埋まっており、みんな机にかぶりついて試験をしている。「ええっ?」。急いで部屋に入り、問題をもらって、遅ればせながら取りかかる。周りをちらりと見ると、すでにかなりみんな進んでいる。しかも昨夜、少し仮眠した程度だったうえ、いつもは食べない朝食を食べてしまったので、脳みそが動かない。問題文を何度読んでも、何をすればいいのか少しの間、分からない。
それでも少したつと調子が出てきて、何とか時間通りに済ませた。クラスメイトに聞くと、8時半から希望者は試験を受けられたという。だから当然、みんな早く来ていたのだ。私としたことが。ま、結果オーライ。
それでも眠気にはやはり抗しがたく、図書館で仮眠する。ただ冷えるので安眠はできない。午後からは「Writing for the Media」の授業。こちらもめでたく宿題を無事提出。これですべてが終わり。とりあえず。明日もあるけど、ま、どうでもいい感じ。この解放感は何だろう。
早くも来週の宿題が出ているので、週末はその準備だろうけど、とりあえず一山越えた安心感の方が今は強い。
きょうはハロウィーン。大学の中でも、かぶりものをかぶっている人、キャンディを配る人などがいて、それらしい雰囲気は少しある。しかし全体的にはまだmidterm中なので、意外とはじけていない。
ハロウィーンとmidterm終了とその解放感を祝うため、ドイツ製のBeck'sというビールで祝杯。ドイツ製だからもっと濃いかと思っていたが、かなり薄く、アメリカのビールに近い。これならブルックリン・ラガーの方がおいしい。
ハロウィーンは、ドクロや蜘蛛、魔女、カボチャのランプなどのディスプレイが街中にあふれる。今夜はそれほど寒くない。私のそばにも魔女が降りてきて何か魔法をかけられたような気になる、そんな不思議な夜だった。
10月30日 Midterm佳境
Midterm(中間試験)たけなわの時期。私もきょう、「Statistics & Quantitative Analysis」の試験があった。確率、標準偏差、仮説検証など。問題はそれほど難しくはないが、1か所だけ、どの数字を採用すればいいのか分からないところがあって、試験時間の半分ぐらいをその1か所を考えるためだけに費やした。最後には自分の最初の直感を信じて、書き直したデータを再度、最初の数字に直し提出。ま、それが間違っていてもこれだけ考えたんだから後悔はない。
そして明日は宿敵ワイズマンの「International Economics」の試験。彼は結局、教えていないことまで試験に出すであろうことが判明し、なす術はほとんどないのが現状。自分が知っているために、もう学生も知っているはすだと思い込んでいるか、すでに学生に教えたつもりでいるらしい。学生が「それは習っていない」と不満をならすと、「そうだったけか。これはこうだ」と解説が始まるが、それがあっちに飛んだり、こっちに飛んだり。結局、ほとんどの学生は何が起きているのか分からない状態。精神分裂ではないかと疑うほどmessy。
さらに「Writing for the Media」の宿題もある。友人からは「笑顔がなくなっている」と指摘され、はっとする。私から笑顔を取ったら何が残るというのだ。気をつけないと。でも、それだけ切羽詰まっているということなんだよ。しかしきょう、別の知り合いには「いつもなんでそんな余裕があるのか」と言われたぐらいだから、ま、見る人によって違うのかもしれないけど。
そんな私でも、日々の潤いがないわけではない。朝、出かける前に窓辺の観葉植物に水をやる瞬間。晴れ上がった空を切り裂く建物を見ながら上着の襟を立てる時。友人の安心したような笑顔を見た時。おいしいコーヒーに巡り会った時。冬の準備で忙しいリスたちが口笛に反応した時。着ぐるみ状態の赤ん坊が私の顔を見て笑った時。自分が人の助けになっていると感じることができた時。目を見てその人が何を考えているのか、何となく分かった時。
10月29日 ノーベル経済学賞
ノーベル賞なんて、もう終わりかけのじいさんがもらうものだと思っていた。
しかし、先日、経済学賞を受賞したコロンビア大のスティグリッツ(Stiglitz)教授は違った。そう、きょうは授業で彼の講演があったのだ。ユーモアにあふれ、しかもエネルギッシュ。万年同じ講義しかしない日本の大学教授とはえらい違いだ。
自説というものをしっかりと持ち、自信に満ちている。しかし謙虚だ。これまで週代わりでいろんな教授が講演に来たが、講演後、これだけ長い拍手が続いたのは彼が初めてだった。
しかも、アメリカが信奉している「市場万能主義」「Globalization」を批判し、IMFを「1国のみがveto(拒否権)を持つ組織」と断罪。しかし「IMFは不要なのではなく変化が必要」と現実的な視点も忘れない。
こういう一流の教授の話を生で聞けるのが、ここに来ている醍醐味でもある。我が母校を考えても、聞いていて知的好奇心が刺激されたのは4年間で1人しかいなかった。それを考えると、たった3か月でこういう人物が実際にいることを知れただけでも価値がある。
ノーベル経済学賞もだてではない。
まったく関係はないが、きょうのテーマソングは五輪真弓の「恋人よ」。特に冒頭の「枯葉散る 夕暮れは 来る日の寒さを 思わせる」というあたりね。
10月28日 1時間もうけた
けさ未明、知らない間に1時間、もうかってしまった。
そうきょうはサマータイムが終わる日。私はてっきり、日曜から月曜にかけて切り替わるのだと思っていたが、実は土曜から日曜にかけてだった。そりゃそうだ、その方が影響は少ないからな。月曜未明に切り替わったら、時間を合わせるのを忘れていた人は大変な目に遭ってしまうしな。
これまでの時間から1時間遅くなる。つまり日本から見ると、「2時間引いて昼夜逆転」するとこちら時間になる。どうせまた来年の春には1時間損するんだけど、なんだかもうけた気分になる。
それならそうでゆっくり寝ていればいいものを、朝7時(サマータイムでは6時)に起き出して宿題をやる。比較的時間はあるので、New York Timesの日曜版(土曜日発行)についてくる雑誌の中にあった「suicide bombing」についての記事を読む。今どき、神風特攻隊の写真なんかを掲げているあたり、アメリカの世界を見る目は十年一日のごとく。これじゃあ、なぜ自分が攻撃されたのか分かれと言う方が難しい。
そして日曜だというのに、統計の試験準備授業があった。それほど難しくはないが、授業ですっとばした部分も範囲に入っているので、そこだけは真剣に聞いた。ま、もう少し追い込んでやれば何とかなるでしょう。
もう紅葉も見ごろで、そろそろ終わりに近付いているらしい。ハロウィン(31日)からelection holiday(11月上旬)、サンクス・ギビング(11月下旬)、年末年始の話も聞こえてくるようになった。なんだかせわしいうちに季節は確実に移り変わっていく。親しい人がまた1人、きょう帰国した(はず)。旅の無事を祈る。
10月27日 Union Squareにて
毎度毎度のUnion SquareのGreen Marketに来ている。なぜかこの市場の雰囲気が好きなんだなぁ。何があるわけでもない。何か珍しいわけでもない。出している露店それぞれが個人経営で、けっこう個性があるからだろうな。
きょうゲットしたのは、
- ブルーベリー・マフィン
- スパイシー・グレープ・ジュース
- 洋梨
- いくばくかの高揚感
特にこのマフィンが絶品だった。私、ぱさぱさ系のマフィンはあまり好まず、外はかりっと、中はしっとりというのが好みなのだが、まさにばっちり。ブルーベリーも惜し気もなく入っており、これを食べるためだけにまた行ってもいいな。
ジュースは、ぶどうのジュースにオレンジ、レモンなどの果物の輪切りを入れ、シナモンをたっぷり突っ込んで温めたもの。温かいジュースというだけで食指が動いた。これは結構、好き嫌いがあるかもしれない。かなり甘いのと、シナモンがききすぎている。多分、次に試したら味が微妙に違うんだろうな。そんないいかげんさも許せる。
洋梨は、前回行った時、リンゴが安く売られていた店にて。愛想は悪いが価格は安い。
この1〜3まではすべて1ドル。洋梨も大きなビニール袋に入ってその値段。マフィンもあれだけ完成度が高くてその値段。納得の3ドルだった。
市場ではハロウィーン用のオレンジ色のかぼちゃ、そして早くもクリスマス用のリースなども売られていた。右下に映っている影は、そう私。
ただ。
この公園は9.11の犠牲者を追悼する人が多く来るところでもある。きょうはまた9.11で亡くなった友人の知人の話も改めて聞いた。日本の政治家や政党のふがいない政治劇についても少し聞いた。私がここに来るのはマーケットのためだけではない。あの事件についてさらに考え、自分に何ができるかを考える場所でもある。
もう風は冷たく。突風にあおられながら、自分の思考だけは風に流されないように歩いた。体は寒さに震えても、ハートは冷えないように歩いた。人込みの中でも、自分の位置を見失わないように歩いた。何かを探しながら。見つかるかどうかは分からないまま。
10月26日 ふう、終わった
朝から東南アジア政治の「持ち帰りミッドターム」にとりかかる。試験という扱いだけど、まあレポートのようなもの。この前の火曜日の授業で問題を手渡され、次の火曜の授業までに提出というもの。
問題は5問ある。例えば、「東南アジアの国々の宗教と政治のかかわりについて説明せよ。第2次大戦後、その関係がどう変わったか、なぜ政治指導者たちは宗教を利用したのか、なぜある宗教を用いて他のものは用いなかったのかについて、1国の中での比較とともに他国との比較で論ぜよ」など。5問中2問を選び、それぞれについて最低5枚。ということは最低でも10枚。
この間の火曜日以降は授業などでできないし、土曜は予定があるし、日曜は統計のテスト前講義があるしで、結局やるとしたらきょうしかない。で、朝からず〜っと東南アジア。
その間にもInternational Economicsのチーム宿題のため大学に行って宿題を仕上げたり提出したり。そのまま大学で午後10時ごろまで東南アジア。
友人と食事をして、部屋に帰ってもずっと東南アジア。そりゃ、東南アジアに興味はあるけど、これだけ時間をかけないとできない宿題を出すのはどうかと思うぞ、マーフィー教授。きょうは一日、東南アジアしかやっていない。
結局、午前2時すぎにようやく規定の10枚を越え、やっと一息。あとは何か気付いたことがあれば加えることにして、とりあえずこれで出そう。
昨日までの陽気とは逆に、きょうは風が冷たく、寒い一日だった。実はこれくらいの寒さの方が好き。身が引き締まる感じがする。ちょっと厚着して、道を覆う枯葉を踏みながら散歩するのはもっと好き。吐く息が白い朝を歩くのはさらに好き。手がかじかむ中を肩をすぼめながら晴れ渡った青空や澄み切った星空を見上げながら歩くのは、うっぎゃ〜、むちゃくちゃ好き。
そんな私の季節なのに、試験と宿題と予習攻め。人生、なかなかうまく行くものではありませんね。
10月25日 風と太陽と青空と
風が強く、日ざしも強く、青空がまぶしい1日だった。
昼食は近くのデリでテイクアウト(=to go)にして、ローライブラリ前の芝生に座り、のんびり食べる。思い付いて追加したエビサラダがなかなかいい。食べ終わり、ごろんと仰向けになる。強い風に雲が吹き飛ばされ、あっという間に青空だけになった。なんだか自分のために青空を用意してくれたみたいだ。
少し離れたところにある噴水の水が、風に流されて水滴が顔に当たるほど。そんな中、ぼけっと青空と青々とした芝生だけを見ていた。
周りではよちよち歩きの赤ちゃん、生後すぐの赤ちゃんなどを連れた親、ベビーシッターとおぼしき人たちが子供を遊ばせている。そうだな、こんなに太陽にあふれた日はもうあまりないかもしれない。
贅沢な午後。贅沢な瞬間。でもそこにしかない瞬間。一瞬一瞬を大切にしよう。
10月24日 警戒
きょう郵便局に行った。すると窓口にいた女性職員がマスクをしている。
これまで見たことのないようなマスク。鼻、口、あごがすっぽりと入る大きさで、しかもプラスチック製。口の部分だけが呼吸ができるように通気性のある構造になっているよう。ワシントンD.C.やニューヨークで郵便局員が多く炭疽菌に感染していると報道されているから、それに対する対抗策なのだろう。
しかし、4人いた窓口の職員のうち、マスクをしていたのは2人だけ。あとの2人は何もせず、通常通り業務していた。なんだか健全な感じがした。みんな気はつけているけど、まさか炭疽菌を送りつけた犯人が窓口にならんで発送したとは思えないしね。
オウムの時の日本だって、地下鉄に乗ったらみんな網棚の上は見ていたけど、じゃあ地下鉄に乗らないかっていったら、そんなこともできなかったから、注意はしつつ乗るという感じだったなあ、などと思い出していた。
昨夜遅くまで(今朝早くまで)かかって書いた作文を提出でき、何だかもう今週が終わってしまったような感じ。まだまだ宿題はあるのに。そして来週はいよいよ中間試験midtermが2教科。別に持ち帰り試験というのも1つあって。論文を最低10枚なんだけど。つまり結局は今週も週末はないということですな。
きょう会社から社報が届く。当然、特集は9.11。私の名前も載っていた。さらに、同期が旅行でたまたまアメリカに来ていて、ワシントンに駆け付けて働いていたこともその記事で知った。何とまあ、星の巡り合わせが悪い期なんだろう。
きょうは夏のように暑いぐらいの陽気だった。こんなに太陽を浴びられるのもあとわずか。図書館や部屋にこもって勉強している体をたまには日光にさらさないと。芝生の上でランチ。黒い服を着ていた私は汗だくになってしまった。寝転びたかったけど、そんな暇もなく。はあ、と思わずため息をついていたら、通りかかったアメリカ人女性がくすくす笑っていた。
笑うなら笑え。ぶかっこうでも、それでも必死に生きてやる。
ここのところ、毎日ニューヨークタイムス(NYT)を見て笑わせてもらっている。別の意味で。
きょうはOp-edという論説のページを見て。Thomas Friedmanという名物コラムニストのコーナーにブッシュ現大統領が寄稿していた。「From: George W. Bush」「To: Ariel Sharon and Yasir Arafat」とされており、この欄を借りて2人にメッセージを送っている。
NYTのウェブサイトでも読めるからぜひ原文を読んでみてほしいが、あえて簡単に要約すると「シャロンよ、アメリカは今、テロ対策で大変なんだ。面倒を起こさないでくれ。イスラエルがアメリカの友人なら、何ができるかを考えてくれ。アラファトはオサマではない。実際、君は秘密裏にアラファトと交渉しているではないか。私はオサマとそんなことはしていない。アラファトよ、跳ね返りを取り締まってくれ。そうでないと君の地位は保障できない。2人とも(boys)、今の争いをやめないと、君たちは私達の敵だと思わざるを得ない」となる。
何たる傲慢。何たる思い上がり。何たる勝手な言い分。例えば、イスラエルが「今の対アラブの戦いはイスラエルの自衛のため。アメリカこそ今こそイスラエルを支援すべきだ」と反論することは十分に可能だ。アラファトが「こちらの支援もしてほしいのに、炭疽菌騒ぎごときは早くおさめろ」と言ったらアメリカは納得するのか。
中東の火種を消すのに、「アメリカが忙しいからそんなことはするな」という言い方はないだろう。両者ともそれなりの必然性があって戦っているのに。
この稚拙な文章に加え、これを自分の欄に誇らし気に載せているフリードマン、そしてそれを許しているNYTの姿勢にも苦笑いしてしまう。この話をしたら友人も同感だと言っていた。
これで両者が納得して矛を収めるとでもいうのか。それは絶対にないだろう。むしろこのアメリカの姿勢に落胆して、ますますdeadlyなコンフリクトに走りかねない。アメリカの調整力に期待できないから、両者ともますます自国内だけの力学で漂流しかねない。
何もアフガンだけでない。アメリカの独善極まれり、という感じが強くする。2人に呼び掛けるのにboysはないだろう、boysは。
10月22日 あんまりだ
夜、SIPAでアフガン関連の上映会があるというので宿題の合間を縫って行ってみた。前回見たドキュメンタリーが良かっただけに期待は大きかった。
しかし何のことはない、CNNの特集を録画してそれを流しただけだった。しかもこの特番、かなり「タリバン=悪者」で凝り固まっている。アフガンを父親に持つという女性がリポートしているのだが、何でもかんでもタリバンのせいになっている。
例えば、カンダハルからカブールに入った際、その荒廃ぶりを映して、それがタリバンのせいであるかのように言っている。しかしこれは、ソ連の撤退後、内部で権力争いをしていた北部同盟の一部がロケット弾を打ち込んだためというのが事実。つまりタリバンがカブールに入城した時はすでにカブールは荒廃していたのだ。だからこそ市民はタリバンを歓迎した。アメリカがタリバン後の政権構想として中心に据えている北部同盟だが、彼らはソ連撤退後10年ほどの間、内紛と権力闘争に明け暮れ、安定と秩序をもたらせなかったことを忘れてはいけない。
公開処刑についても、その罪状を述べずに、単に公開で処刑していることをさも野蛮であるかのように報じる。その厳しい必罰の姿勢が治安をもたらし、それは民衆が望んでいたことであり、タリバンの功績の1つであることは報じない。
どうも現地語を話せるこのリポーターだが、せっかくの技能を生かしていない。やたらに隠しカメラの映像が出てくるが、それもタリバンの怪しさを出すだけために使われているかのよう。「タリバン=悪者」だけの視点だけなので、途中からつまらなくなった。敢えて言うと、「結果が見えているハリウッド映画」と言えばいいだろうか。
アメリカ人は、「悪者タリバン」と思い込んでいるから大喜び。しかしこれを無邪気に受け入れていいのか。
アメリカのメディアに、しかもアトランタ本社のCNNに中立であることは求めないが、せめて公正であってほしい。これは世論に、そして政府におもねった番組以外の何ものでもない。ジャーナリズム精神のかけらもない。
日本でも流れているかもしれない。ぜひ見て、いかにアメリカが危険な道を歩んでいるかを実感してほしい。
なお、私のアフガンに関する知識は、「カブール・ノート」によるところが大きい。読みごたえはあるが、ぜひ一読をお勧めする。
10月21日 Go! ethnic
昨日、きょうとなんだかエスニックづいている。
昨夜は「エチオピア・エリトリア料理」を食べた。「エチオピアはともかく、エリトリアってどこにあるんだ」と、国際関係を学んでいる学生らしくないことを言いながら、店に入る。すると思った以上に混んでいて、私達が座った席が最後の空席だった。その後も次々に客が来て待っている。
食事は、野菜や肉に味付けしたものを薄いパンのようなもので包んで食べる。フォークやナイフはなく、手で食べる。同行者にはこの手で食べる行為が好評だった。
今晩は「キューバ料理」。サトウキビでも出てくるのかとまたもや変な想像をしながら行ってみると、かなりおいしい。しかも安い。しかも店員がフレンドリーだ。この「店員がフレンドリー」はNYではなかなか期待できないのでポイントが高い。メインとデザートを楽しむ。デザートはやはり南の国の料理らしく、かなり甘い。それでもぺろりと平らげる。
自分の生活範囲のすぐそばにこうした各国料理があるというのはNYらしい。東京にもあるけど、「安く、手軽に」ということで探すのは難しい。さて、ほかにはどんなのがあるかな。
10月20日 感情と理性のハザマ
昨日からきょうにかけて、感情と理性のハザマに戸惑うことが続いた。
昨日、ビルマ人の友人に紹介されたBurmeseとKareni。「なぜ日本政府だけがミャンマーの軍事政府を支援するのか」「なぜ日本はミャンマーに比べて民主的なのに、国民は政府を変えようとしないのか」などとBurmeseから痛烈な批判を浴びる。感情では彼に賛成できるために、理性で反論すると非常に弱っちいものになる。かといって感情で「そうだそうだ、日本は悪いんだ」と迎合することもできない。「援助をやめたら、困窮した軍事政権がさらに国民を搾取する」「太平洋戦争で迷惑をかけたことに対する補償の意味もある」などと言ってはみたが、言っている本人がそれを信じていないから、説得力があったもんじゃない。
昨夜の日系アメリカ人もそうだ。アメリカ人はarrogantで仕方ないと言ってしまったがために、「それならなぜアメリカに来たのか」と追及された。「そのアメリカを知るため」というのはあまりにも一般的な説得力に欠ける。嫌いだからこそ、その力に対抗するために相手をよく知るのが必要と思っているから、それ以外の答えができない。う〜ん、なんでいるんだろう、ここに。
きょうはConceptual Foundationのミッドタームの宿題で1日がつぶれた。5つの設問があり、そのうち1つを選んで1200語で論文を書けというもの。私が選んだのは、「Discuss which (hypothetical) world would be more peaceful: one in which all states had nuclear weapons or one in which no states had nuclear weapons. What might be the challenges in archeiving the condition you consider more desirable?」というもの。
感情では答えは簡単。しかし、ネオリアリズムの巨匠、Kenneth Waltzを打倒するのはそれほど簡単ではない。感情だけで「核はいけないんだ〜!」と叫んでみても、彼には、そしてアメリカには痛くもかゆくもない。ネオリアリズムの弱点を見つけて急所を突き、巨大な壁に少しでも風穴を開けたい、そんな気持ちでいるから、感情と理性のコントロールが難しい。
感情のない理性に意味はないが、理性のない感情には価値がない。1日中、かなり集中してようやく午前1時すぎにいったん完成。こんなに頭を使ったのは久しぶりだ。結局1500語を越えてしまったが、まあいいだろう。
あしたも勉強。はてさて、いつになったら恋人を見つけ、デートをするような余裕が出るのだろう。昨夜、余裕があると言っていた2年生の先輩方がうらやましい。
10月19日 街中にあふれるアメリカ国旗的意味
先月の事件以来、いたるところに国旗があふれている。小さなデリから大きなデパート、走っている車、バス、アパートメントの窓など、いたる所に国旗がある。商店では「United We Stand」とか「God Bless America」などといった標語つきのものもある。
日本では決して見られない光景だけに、これの持つ意味が自身にピンとこなかった。ので、きょう知り合った日系アメリカ人に聞いてみた。
すると、3つの意味があるという。1つは、Solidarity。団結とでも訳せばよいのか、みんなの心が1つになっていることを示す。2つはPatriotism。愛国主義。そして3つには、脅威に対抗する意味。中でもSolidarityが大きいだろうと言う。
「しかしオウム事件の際でも日本ではそれはなかった」と聞くと、「オウムは国内で国内の組織が起こした犯罪。しかし今回は外国の敵が起こした犯罪。だからアメリカが1つになっていることを示すのだ」という説明だった。
ある人は「日本にないこの愛国心、団結力がうらやましい」と言うが、私は逆に危機感も覚える。現在のアメリカの空気が言論弾圧に近いものがあるからだし、大本営発表だけを鵜呑みにする傾向にあるからだ。
現在、NYを恐怖のどん底に陥れている(とされる)Anthraxも、NBCやNYTなどに送られた菌が同一のものであり、「北米原産の野生株」であることが分かったときょうのニュースが伝えている。遺伝子操作など複雑な工程は経ておらず、研究機関などでよくあるタイプだという。だれかが悪意を持って送付したことは間違いない。しかし、「陰謀」「テロ」がその背後にあると声高に言っていたのと、ちょっとニュアンスが違わないか。
そのうち、湾岸戦争の時の油にまみれた水鳥のように「あれはアメリカ軍、政府のつくりものだった」という「スクープ」が流れないとも限らない。
念のために言っておくが、「今、NYではガスマスクが売れている」というのは、オウム事件の時に同じことが日本でもあったことを思い出してほしい。あの時にあなたはガスマスクを買っただろうか。みんな買っただろうか。そんなことはない。一部でそういう動きがあるかもしれないが、それはメディアという虫眼鏡でMagnifyされたものであり、すべてがすべてそうではない。
10月18日 就職活動
渡米以来3か月。初めてスーツを着てネクタイを締め、大学に向かう。そう、きょうは「キャリア・フォーラム」というのがあったのだ。
各種企業のリクルーターが集結し、学生の質問に答える。こちらは自分のresume(経歴書)を出して、就職やインターンのコネ作りに生かす。校舎の15階、1社ごとに1つの机が割り当てられており、学生はそこを渡り歩きながらいろんな話を聞く。
これは就職活動でもあるし、来年夏のインターン獲得の活動でもある。日本では実際の入社の1年以上前に就職活動をするから、それに比べればまだゆっくりな方かもしれないが、来年夏のために今から動くのは何だか実感が伴わない。日々の勉強でひーひー言っていから。
きょうは「メディア/フィナンシャル」関連の企業が集まった。ABC、CBS、CNN、AP、Timeなど。新聞社がないのが残念だが、まあ話を聞いて情報を集めることはやぶさかではない。人間的な印象ではAPが一番良かった。しかしNYでは就職の競争が激しく、さらにニュース・ライティングのテストまであるという。
それ以上に、スーツを着て行ったことに対するクラスメイトの反応が面白かった。「歳相応に見える(どういう意味や!)」「仕事をしている人に見える(してるっちゅうねん)」「びしっとして見える(そりゃスーツやからな)」というものから「惚れ直した(ほんまかー!)」というものまで。普段はジーパンにセーターとかそんな感じだもんな、無理もない。
それにしても、自分の順番になるまで列を作って並んでいる自分を客観的に見たら、就職活動をしていたころを思い出して何だかおかしかった。もうこんなことぐらいで緊張するタマではないけど、神妙に順番を待っている自分がおかしい。
あすは授業はないけど、いろいろあるんだ、これが。いろいろと走りながら考えるしかないな。でもアメリカ人に「世界平和」という概念はなかなか理解してもらえないということは確かなようだ。アメリカが平和ならいいというのは自然な感情でもあるし、しかし偏狭な価値観でもある。中「米」主義を何とか打破する、これが当面の宿題だな。
10月17日 風に吹かれて
冷たい風が久しぶりに強く吹く。特に夜になってからは空が唸るほどに吹いている。ここ数日は入っていなかった暖房も入った。こうして寒くなっていくのだな。窓から見えるリバーサイド・パークの木々もすっかり色付き、即席の紅葉の変化を毎日見られるのは贅沢か。
昨夜からほぼ徹夜をしたので、大学内を歩いていても何だかふわふわした感じ。さすがに暗くなってから眠気が襲ってきたが、それでも意外と持ちこたえられている。このあとももう少し勉強しよう。できるうちにやっておかないと。
2、3日前に寝違えた首がまだ痛い。でも友人が夕方、肩や首筋をもんでくれたおかげでかなり楽になった。首が長いのか頭がでかいのか、はたまた枕が合わないのかベッドに慣れていないからか、寝違えが割と起こる。
Writingの授業も無事終了。きょうは倫理についての話だった。「そんなの簡単さ」と思っていたが、教授の優しい語り口、「これが正義だ」とは決して言わない話し方に引き込まれて、自分のことも改めて振り返ることができた。自分なりには倫理を守っているつもりだが、かなり恣意的に運用しているのだということに気付く。しかしクラスメイトよ、「賄賂はだめだろうけど、ギフトはいいんでしょう?」と真顔で聞かないでくれ。だめに決まっているでしょうに。多分ラテン系でしょう、あなた。
10月16日 雨に降られて
帰宅途中に雨に降られる。傘を持っていなかった。ウインドブレーカーを持っていたのでそれを着て、夜の雨の中を歩く。今夜は何だか雨に打たれたい気分。
私の顔から目の下のクマがなくなることはないのだが、その大きさ、濃さが疲労度のバロメーターになっているようで、友人たちから「きょうはかなり」「きょうはそれほどでも」などと連日チェックされている。きょうの診断は「これまでになくひどい」。
それでもあすのWritingを過ぎればかなり楽になる。もうひと踏ん張り。課題の本は読み終えたが、批評を書くのに少し手間取り、終われば午前3時。これからまだ問題2つと経済の問題をやらないと。今夜というかこの未明が山場。
親しい人がもうすぐNYを離れる。英語の発音がかなりよくなってNYを離れる。街路樹から色付いた葉が離れるような喪失感がある。ともかく自分らしい生き方ができることを、健康を、そして幸福を祈りたい。
10月15日 夕陽のかなた
きょうは珍しく日没前に部屋に戻る。勉強をしていると窓からきれいな夕陽が見えた。「ああ、あの向こうに日本があるのだな」と思った瞬間、はっと我に返った。「自分は西を見て日本があると思っている」
アメリカ人の常識からすると日本はFar East。つまり朝日の昇るかなたに日本はある。彼らの地図はヨーロッパが真ん中に配置されている。だから日本は一番東の端になるのは当然。
しかし私達が日本で見ている地図は、真ん中に大平洋がある。だからアメリカが東の端になる。「夕陽のかなたに」と思った私の頭の中には無意識のうちに「日本式世界地図」があるのだ。だから自分の今いる位置は東の外れと認識していて、従って日本は「西」にあるのだ。
これがどんな変な感覚かは、日本にいて日本海に沈む夕陽を見つめて「この向こうにアメリカがあるのだ」と思うのと同じこと。
いやあ、刷り込まれた記憶、無意識の認識というのはこういう形で人の思考を左右するのかと少しびっくりした。ここニューヨークにいて、「東の空の向こうに日本がある」とはどうしても思えない。どうしても西のかなたにあると思ってしまう。
こうした地理感覚が先天的なものとは思えない。やはり小さなころから大平洋中心の世界地図を見て育ち、知らず知らずにそういう世界観が身に染み付いているのだろう。翻って考えると、アメリカ人にとって大平洋は「西のかなたにある海」ぐらいの認識だろう。その途中で海はぶっつりと切れているのだ。日本だけが「環太平洋」と言ってもestablishmentの本拠地・東海岸からはまったく相手にされないのはこのためだな。
夕陽を見て「きれいだなぁ」と思う心も大事にしたいが、欲張りな私はそれだけでも嫌だ。「なんでわざわざそんなことを考えるの」と他人からは言われるような事もいっぱい考えたい。
9.11の影響か、最近よく「限られた命」という言葉をよく使う。きょうも昼食の時にそういう話をした。寿命の分からないこの命。だからこの一瞬を精いっぱい生き抜きたい。考え抜きたい。貪欲にこの時間を使いたい。と考えると、つまんない統計の問題を解いている自分が何だか意味のないように思えてくるのだが、それはそれ。
だれしも限られた尊い命なのだから、それを外部の力が強制的に終了させることは断じて許さない。どんな大義を抱こうとも、ブッシュ(息子)の人道的な罪が軽減されることはありえない。ブッシュ(父親)も湾岸戦争だからな。揃いも揃ってなんていう親子なんだ。ああ、また怒りがこみ上げてきた。
10月14日 チップとは
欧米の習慣でどうしても納得できないものがある。レストランなどで払うチップだ。
私の理解では、チップはサービスに対する対価だと思っている。まあ15〜20%が相場とされている。当然ここニューヨークでもファーストフード以外のレストランでは、それがたとえ安さをウリにしている中華でも、ちょっとコーヒーを飲むためだけに入ったカフェでも払わないといけない。
サービスに対する対価だから、例えば店員の態度が気に入らなければチップは少なくていいし、ある意味、抗議の意思を込めて払わなくてもいいのだと思っている。
しかしここ3か月の経験から、ここNYではチップはもらえて当然、しかもひどいところでは20%というように比率が店によって決められている。こんなものは惜し気もなく払うのが大人の態度と言われるのかもしれないが、それならそうで、価格に含めておけばよろしい。わざわざ客が「自発的に」払ったように見せかける必要はさらさらない。定価をすべて20%アップにすればいいだけ。その方が払う方も受け取る方もストレスがなくていい。
しかしそんな論理はここでは通じない。何と前近代的な。何と非効率な。何と傲慢な。彼らはこれが当たり前だと思っている。自分達の習慣が、他の社会システムから来た人にとってどれだけ意味不明でどれだけ無意味か分かっていない。
仮に彼らのチップ文化を認めるなら、それと等価値でヤクザの場所代も認めないといけない。場所代は不合理だ、民主主義に反するなどと彼らには言えない。
自分と他者の間にある落差を知らないから、自分に属するものはすべて正義、それに反するものはすべて悪というように無邪気に割り切れるのだろう。すべてのアメリカ国民をアジアやアフリカで3年間、英語なしで住ませればよい。すると自分達の価値観がいかに狭小で、いかにチンケなものか分かるかもしれない。分からないかもしれない。
アメリカの覇権主義は政治からだけ来るのではない。文化に根ざしているはず。街角の小さな中華料理店で、チップについて争いながらそこまで考えるのは行き過ぎだろうか。
10月13日 秋の夜
昨日、友人も同じ82 stのBarnes & Noble'sに行っていたことが分かった。しかし友人によると、割り引きはコロンビアの教授だけで学生には適用されないらしい。な〜んだ。
きょうは気合いを入れて勉強していたはずだが、なんだかその気合いが空回りした感じ。「The Politics of Southeast Asia」のリポート(3枚)をやっと書き上げ、昨日買ったWritingの課題用の本を読み始めただけ。気付けば休日もあす1日。「あすこそは」という決意を何度したことだろう。
夜、静かな通りを散歩した。黄色い落ち葉がもう歩道を覆っていた。かなたにハーレムの質素な灯り。寒くもなく風もなく、むしろ暖かな空気。ここ数週間のいろんな思いが去来する。遠くにあるから貴いものもあるし、近くにあるからこそ尊いものもある。どちらがいいかなんて分からない。でも、今できること、今しかできないこと、今やるべきことをしっかりとやらないといけない。そんな気持ちになれた。
声を出して言うのは勇気がいる。しかし今言わないといけないこともある。高校生の時に好きだった歌がある。
かの時に
いいそびれたる
大切の
言葉は今も
胸に残れど
私のnaiveな当時の心境にぴったりだったこともあるが、それ以上にこの歌を気に入ったのは、その情けなさ。「こんな歌を詠むようにはなりたくない」と強く思ったものだった。「大切な言葉ならゆうたらええやんか〜」という感じ。
この歌を反面教師として、大事なことは言ってきた。だからといって後悔はない。だからこれでいいのだと自分に言い聞かせる。
10月12日 本探し、ほんに苦労する
Writingの課題である書評をこなすため、対象となっている本を探しに82 stのBarnes & Noble'sまで行ってみる。ここはコロンビアの学生証があれば10%割り引きしてくれると聞いていたからだ。
しかしジャーナリズムのセクションはわずか棚3段分しかなく、教授からリストアップされた本はない。無駄足。割と高級なイメージのあるBarnes & Noble'sだが、置いてあるのはフィクションもの、実用書ばかり。学術関係が売れないのは分かるけど、Upper West Sideという土地柄から言っても、もう少しあってもよさそうなものなのに。ただジュリアード音楽院やオペラハウス、コンサートホールなどがあるリンカーンセンターに近いためか、芸術関係は充実していた。
きょうの収穫はそのそばにあった「H&Hべーグル」。何度か前は通っていたが初めて入ってみた。普通のべーグルが95セントもする。スーパーで買えば25セントだから、4倍もする。しかし値段だけのことはあり、温かかったし、もちっとした食感がそこいらのべーグルと違う。セサミ、ポピー、塩、胡椒などトッピングをすべて乗せた「everything」を1つだけ買い、歩きながら少しずつ食べると、本当にニューヨーカー。
本がないと書評も書けないので、大学の近くの専門店にも行ってみたが、そこにもなし。結局、昨日目をつけておいた大学の書店にあった本で妥協する。James Fallowsの「Breaking the News」。版の小ささと文字の大きさ(=読みやすさ)が何といっても決め手だ。
あと、少し前から目をつけていたAhmed Rashidの「Taliban」が30%引きであったのでそれも買った。これ、以前Amazon.comで見たら22ドル、きょうBarnes & Noble'sで見たのは定価の14.95ドルだったから、これに関してはいい買い物をした。先日買ったEdward Saidの「Covering Islam」とともに、サンクスギビングの休みにでも読んでみよう。
ともあれ金曜日が授業なしなのはありがたい。ほっと一息つける。生活に必要な作業もいろいろできる。そして土日はまた勉強をガリガリする時間となる。私にとって金曜日が唯一の週末。
10月11日 アメリカの論理
きょうはConceptual Foundationのディスカッションのセクションがあった。きょうのテーマは「War and Peace」。待ち望んだテーマだ。
アメリカの現在の主流はRealism。冷戦を説明するために生まれたような学説で、1)米ソがHot Warにならなかったのは相互に核兵器を持っていたから、2)国際社会はアナーキーな社会で、行動の主体は国家である---というのが主な主張。1)からは必然的に核兵器容認、2)からは国連軽視が導き出される。
個人的にはどちらにも賛成しかねる。特に、戦争を防ぐ手段として「経済関係、相互依存の強化よりも核兵器」という論理には反発する。「それでもアメリカはベトナム戦争を戦ったじゃないか」と反論すると、「ここでいう『戦争がない』というのは、お互いに核兵器を持った国同士の戦いがなかったということ」とTAがムキになって言い返してきた。
すぐに英語が思い浮かばず、さらに反撃できなかったことが悔やまれる。
しかしそれ以上に印象的だったのは、アメリカにとっての戦争とは、1)ソ連との戦争しか考えていない、2)アメリカ本国が攻撃されることしか戦争と言わない---という暗黙の了解があることだった。
だからアメリカにとっては、朝鮮半島でどんなに悲惨な戦いがあっても、ベトナムでどれだけアメリカ兵が死んでも、湾岸戦争やボスニア内戦でどれだけの一般市民が死んでも、それは戦争ではない。逆に、跳ね上がりのテロリスト(と推測される人々)がアメリカの本土を脅かせば、それは「戦争」なのだ。
ブッシュが「New War」と呼んだ淵源はここにあるということに気付いた。
アメリカは内弁慶の箱入り娘みたいなもの。傷つけられることを極端に恐れており、少しでも傷つけられたり傷つけられる脅威を感じると、過剰に反応する。
テレビや新聞で政府のretaliationを礼讃し、議会ではブッシュ大統領に報復戦争の「必要で適切なあら ゆる軍事力」を行使する権限を与える決議を上院では全会一致、下院では420対1で採択し、何が起こっても自国の政策の反省をすることすら考えず、ひたすら自分の傷だけを強調するやり方が、果たしてdemocracyと言えるのか。
そういえば「democracies don't fight each other」というのもアメリカでは流布している考え方だ。きょうのディスカッションでも出てきた。これは逆に言えば、「あの国はデモクラシーでないから攻撃してもいい」という口実を、最大の民主主義国を自認しているアメリカに与えることにしかならない。そのアメリカがこの50年間でどの国よりも多くの戦争を戦ってきていることを認めようとしない。
結局、アメリカの論説というのは、自国の正統性を正当化し、自国の利益をあたかも必然のように言い換え、自国の政策を神の意志のように言うこと、つまりは「現代版王権神授説」でしかない。現状をつぶさに分析し、あるべき方向性を探り、そのためにどういう政策が必要かを考えるものではない。こういうアメリカ人の思考回路が分かっていないまま論説だけを取り入れたのでは、肝心のアメリカ人の目的意識を見失ってしまうことになる。
アメリカ人がglobalizationを言う時には、その裏にはアメリカの金融産業の全世界的拡大を正当化する意思があるのだし、アメリカが中国に「民主主義でない」「人権が守られていない」というのはアメリカが本当に民主主義や人権を考えているからではない。
本当に変な国だ、アメリカは。まだまだ知りたい。もっと深く知りたい。そしてそれを乗り越えるものを見つけ、構築したい。経済や軍事や政治の力以上に優れた道を、人間の英知をもってすれば必ず見つけだし、実現できるはずだ。
10月10日 インターン
20時からConflict Resolution関連のインターンの説明会に出席。昨年、この分野でインターンをした2年生がいろいろと体験を語るというもの。このSIPAではインターンが必須で、だいたい2年生の夏休みにはみんなやっている。
しかしCRはビジネス分野とは違い、これという団体や会社があるわけでなし、結局は国連機関やNGOで興味に合うようなプログラムを探すしかないらしい。普通にやれば年内にはインターンを決めるらしいので、これも悠長には構えていられない。
授業が終わってからこの説明会まで、図書館に見つけた小さな読書スペースで仮眠する。小部屋になっているうえ電気を消せるので、少し窮屈だが静かに寝ることはできる。しかし咳が出てかなり不満足な睡眠になった。風邪はひいていないのだが、暖房で喉をやられたせいで、乾いた咳が時々激しく出る。
1週間の山場である水曜日をなんとかしのいで、やっと一息。しかし宿題がまたもや山のように出ている。overwhelmingだが、こんなことで弱音を吐いていられない。これに負けたらアメリカに負けたような気になるから。
渡米以来3か月。一度も髪を切っていない。ある友人曰く「以前は単なる怪しいアジア人だったけど、最近はなるほど文筆家だと思える」。これまでここまで長くしたことはなかった。これもある種の実験だ。どこまで自分に耐えられるか。楽しみではある。
10月9日 Afghanistan
夕方からSIPAのオーディトリアムで開かれた映写会に参加する。Human Rights Watchの賞を取ったドキュメンタリーで、アフガニスタンに戦争負傷者のための病院を設立し、そこで治療に奔走する医師の活躍と、北部連合とタリバンの内戦の模様を描いている。
Human Rights Watchの賞を受賞したような作品だから、どうせ鼻につく人権をふりかざしているのだろうとあまり期待もせずに行ったが、かなり本気の作品で、 久々に衝撃を受けた。
地雷で足を吹き飛ばされて骨が見えたまま病院に運ばれて来た兵士。同じく地雷の被害に遭い、あどけない顔ながら「もう僕には将来がない」と悲しい瞳で話す少年。顔の半分を吹き飛ばされた老人。砲撃の音。自家用車のようにそのへんを走り回っている戦車。栄養失調で目もうつろな幼児。笑顔を知らない子供たち。
そこで物資もなく、命の危険もあり、しかも自分の非力さを日々痛感しながら奮闘している医師たちの活躍に、なぜか自分をだぶらせて考えている。自分がそこにいたら。自分がそこで仕事をしていたら。一体、何ができるだろう。私は医師のスキルは持っていない。だから直接的に傷付いた生命を助けることはできない。では何をすべきなのだろう。
時々流れそうになる涙を必死でこらえながら、それでも「現実を直視しないといけない」と自分に言い聞かせ、文字通り画面を直視していた。ドキュメンタリーにありがちな映像の乱れ、乱雑な編集、理解できない独善などもほとんどなかった。
アメリカなどの攻撃によって、内戦に加えてさらに戦傷者が増えているだろう。あの医師たちの苦労がまた増える。傷付くアフガンがさらに増える。そして死んで行く人も増える。6000人の無辜の命はそりゃ尊いって。あんな行為は許せないって。そりゃ分かっているけど、でも等価値でアフガンの人、タリバンの人々の命も尊い。もっと言えばウサマ・ビン・ラデンやアル・カイーダの人々の命も尊い。
日々、焦りに似た気持ちを感じている。苦しんでいる人がいるのが分かっていながら、それと一見無関係に平凡に生きている私。ブッシュがこの映画を見たら何を考えるのだろう。「だからタリバンはだめなんだ」と言うのだろうか。偏向しているNYTの記者がこの病院を取材したらどう書くのだろうか。「やはりタリバンとの内戦で被害者が出ている」とだけ書くのだろうか。
暗視カメラによる緑色の画面と、その中を走る白い閃光。ちょうど10年前、湾岸戦争の時にも見た光景だ。あの時も何か解決したのだろうか。そして今回こそは何かが解決するのだろうか。あの時のようにアメリカは自分をまた正当化するだけで反省はないのだろうか。敗北を極端に怖がる民族。分かっているくせに自分のfaultを認めようとしないarrogance。何度でも言ってやろう、アメリカを仰ぎ見る人がいたら、その人は確信犯か無知でしかない。
10月8日 文化的な最低限度の生活
きょうからようやくNew York Timesを購読し始めた。渡米以来約3か月、ある意味で最低の生活をしていたのだが、ようやく文明を一部取り入れることにした。この3か月で気付いたことと言えば、新聞はなくても暮らしていけるということだ。物心ついた時から新聞があった生活だったので、この機会に新聞がない生活をやってみるのもいいかもしれないと思ってのことだった。しかしそんな悠長なことも言っていられない。感謝祭の休みにやろうと思っているリサーチがあるので、そのためにも新聞が必要だし、宿題や授業をこなしていく上でも必要になってきた。土曜日にウェブで申し込んで月曜日から届いていた。なかなか手早い。
先週の土曜日にユニオン・スクエアで開かれていたグリーン・マーケットで小さな観葉植物を3つ買った。それを窓際に並べている。殺伐とした部屋の中で、ここだけが異次元の世界だ。かなり選んで買っただけに3つのバランスがなかなかよい。朝には水をやり、しおれていないか、葉に勢いがあるかどうかと気になる。無機質なものに囲まれていた心にちょっとしたオアシスができたよう。
ある友人の純愛について、別の友人と話をする。切ないくらい、少しのことで泣いてしまうくらい、好きだと思える心の素直さ。そのもろさ。その恐さ。澄み切った最近の朝の空のように、悲しい美しさを感じてしまう。
気付けばミッドターム、「中間試験」の時期にさしかかっている。
いよいよ地獄の季節がやってきた。噂には聞いていたけれど。
きょうは晴れ上がったものの、北風が冷たく、かなり寒い一日だった。昼前から大学近くのSt. John the Divine教会に行く。きょうは年に1回の動物大集合の日で、珍しい動物がいるかどうか興味本位でのぞいてみた。しかし開始とされた11時を過ぎても教会の前には入場を待つ長い列。それをながめている私。寒風の中で1時間以上もいたので、なんだか調子が悪い。
動物といっても信者たちが連れてくるのはやはり犬。圧倒的に犬。猫は少なかった。宣伝文句でうたわれていたラクダや白頭鷲、リャマなんかはペット業者が連れて来ているようだった。な〜んだ。体が冷えきったが、それでもWritingの宿題のためにそこからチェルシーまで取材に出かける。
しかしこちらも約束の時間に本人は不在のため、しばらく玄関前の寒風の中で足踏みをしながら待たされる。しかも現れた本人、部屋の窓を開け放して扇風機もかけ、着ているものはTシャツという、私には考えられない人物だった。
彼の名をCreigという。スタジオの経営者・プロデューサー・エンジニアで、数々の音楽を手掛けている。彼にニューヨークの音楽状況や彼自身のキャリアについて聞くのがきょうの目的。しばらく取材したが、やはり寒い。彼の飼い犬であるBeckyとゴムボールで遊んで動いてもまだ寒い。結局、寒いまままた外に出ることになってしまった。
部屋に帰ると何だか微熱があるような感じ。ほっぺたと額が少し火照る。唇が乾く。こりゃやばい、朝から寒い中で寒さを我慢したからなあ、きょうは早く寝て体調を整えないと、なんて考えていたら、何のことはない、部屋に暖房が入っていた。いつもは寒々しい部屋なのに、セントラルヒーティングの威力か、かなり暖かい。というより暑い。Tシャツでちょうどいい。暖房を緩めようとしても、調節弁が固まっていて動かない。げげ。この暑さの中で一冬過ごすのか。最近、喉が乾くのももしかしてこのせいか?気付いたのがきょうというだけで、2、3日前から暖房が入っていたのかもしれない。
乾燥するし暑いし。ちょっと寒いぐらいが心地いい私としては、別の戦いをしないといけない季節がとうとう来た。夏の暑い盛りに来て、もうそんな季節になった。果たして力はついているのか。
きょう昼、アメリカとイギリスがとうとうアフガニスタンを爆撃した。私に何ができるのだろう。何をすべきなのだろう。とにかく今は焦らず、地に足をつけて「何のため」を見失わず勉強するしかないのだろうか。
夕方、いきなりビルマ人の友人に誘われ、クイーンズまででかける。彼の話だとビルマの伝統料理や伝統芸能が楽しめるということだったが、行ってみると「Myanmar DJ Party」だった。ミャンマーの孤児院や小学校を運営するための資金集めパーティーとのこと。ビルマというかミャンマーというかは、その人の政治的立場を反映するかなり微妙な問題。このパーティーにミャンマーとついているからには、やはり現状肯定派の主催のようだ。
確かに民族衣装、民族舞踊もあることはあったが、大部分は大音量のラップ音楽とカラオケ。途中でつまらなくなってしまった。途中で退場し、彼の友人たちと計6人で食事をする。そっちの方が数倍有益だった。彼らは祖国を「ビルマ」と呼んでいた。
彼らは日本のビルマに対する経済援助に否定的だ。しかしだからといって日本人を敵視しているわけではない。それは韓国人の友人たちと似ている。
こうした出会いを求めて私はアメリカに来た。こうやって友人の数が増え、友人とのつながりが太くなっていくことを実感するとき、アメリカに来た価値があったと思える。
ちなみに、「チェーズ」とは、ビルマ語で友人同士の挨拶に使う言葉。「やあ」でも「元気だよ」でも「おおきに」でも使える便利な言葉。イタリア語のチャオみたいだ。
10月5日 待ち人来たる
Writingの課題のため、ある人物と連絡を取ろうときょうまる1日を費やしてしまった。朝から当該人物の電話がつながらない。何度かけてもつながらない。「自由業のような人だから仕方ないか」と諦めかけた夕方。ふとリダイヤルではなくてはじめからかけなおすと、ようやくつながった。なぜ?ともかく日曜日に会えることになった。このために1日を要したのかと思うと気が重いが、それでもConceptual Foundationのリーディング1つと統計学の宿題半分はその間に終えることができたし、ゆっくりと休息も取れた。いい方に考えておこう。
夜になってから、統計学のラボの宿題をやりに大学へ。そこでも会いたかった人に会えた。宿題そのものはデータの選別がうまくできず完成できなかったが、まあいいという気分になれる。
結局その後も友人たちと午前1時半ごろまでいろいろな話をして過ごす。まあゆったりとした1日だった。来週以降も金曜日はこんな感じになるのだろうか。土日は翌週のための課題などでつぶれるのが明らかなので、私にとっては金曜日が土日みたいなものだ。ちょっとだけほっとした気分になれるのがありがたい。
10月4日 Liberalism
ここのところ、Liberalismについての文章をよく読んでいるので、頭がそっちの思考になっている。古典的なリベラリズムは、古い体制の主権者、例えば王様とか領主とか、そういったものに対する異義申し立てから始まった。それがジョン・ロック(John Locke)に至って産業革命と結びつき、所有権など経済的な権利に拡大されたという。現在では、憲法などで各種の自由、つまり表現、言論、信教、職業選択、住所移転などの自由が保障されていることを指してリベラリズムとしているらしい。
しかしアメリカでリベラルというと、中絶賛成、社会保障拡大などをイメージすることが多い。こうした形での「リベラル」という言葉の使い方には批判もあるようだ。
何が言いたいかというと、リベラルは元々、権力のないものによる権力のあるものへの異義申し立てが始まったということ、アメリカはそのリベラリズムの大家を自認していること。つまり、私は気に入らないTeaching Assistantに異義申し立てをし、その権力(=宿題の採点、成績の評価)から離脱することも可能ということだ。
もっと言えば、来週からはあの統計学のTAとは別のTAの授業を取ると決意したということ。きょうもあいつの授業があったが、最悪の一言だ。
授業に来る学生の数もどんどん減っている。おまけにラボに移ってからは、西洋人女性にだけいい顔をして、東洋人には、特に男性には見向きもしない。時間が来れば質問があろうが知らぬ顔で去って行く。こんなやつに「教育」の一端を担わせる根性が分からない。
と、理由付けをして私はこいつの授業から離脱することにした。ということが言いたかったのだった。悪文の見本みたいな文章だな、こりゃ。
10月3日 心はブルー
きょうも昨日に劣らずいい天気。少し暖かく、晴れ上がり、湿気がなく、微風が吹いている。室内にいるよりも圧倒的に外にいる方がいい。
昨夜、必死で仕上げた宿題をさらに学校で空き時間に推敲し、無事提出。しかし添削されて帰って来た先週の課題は散々だった。もっとじっくりと取り組めればいいのだろうけど、そんな暇は望むだけ無理というもの。この状況でできることを力の限りやるしかない。
それにしても眠い。これを書いている今も、まぶたの上下がキスをしそうだ。しかも濃厚なやつ。来週の宿題のめどが立っていないので安心できない。それでもきょうは早めに寝よう。体力が第一だもんな。
きょう本屋でEdward Saidの「Covering Islam」という本を買ってきた。彼はコロンビアの教員でもある。イスラム世界を取材するにあたってどう考え、どう取材すればいいかを論じた本。かなり期待している。まとまった休みが取れた時に読んでみよう。今の状況から言っても、無駄な読書にはなり得ないはずだから。
10月2日 秋空は大晴天
きょうはからりと晴れ上がって気温も高く、久々に気持ちのいい一日だった。
しかし授業は最悪続き。「International Economics」では、Teaching Assistantにさえ解けない問題が出て、クラス中でブーイング。TAもお手上げになったらしく、「みんなから苦情を言って、教授に悲惨を味あわせよう」と言う始末。
「The Politics of Southeast Asia」では、教授自身が遅刻してしまって、焦ったのか授業のペースが早い早い。いつもわけのわからない部分があるのだが、今回はさらに多かった。
「Statistics and Quantitative Analysis」は、先日出した宿題が返ってきたが、手書きで書いた部分が減点されていた。なんで。そんなこと言ってないはずだよ。
しかもあすが期日の「Writing for the Media」の「Place Story」という課題もまだ手付かず。ニューヨーク市内の好きな場所を取り上げて1000語にまとめるもの。取材は日曜日にしていたが、それを1000字というかなり大きめの文章にするのに手間取る。途中、少しズルもして、何とか1000字を確保。終わったら午前3時。
12時半ごろには会社から業務連絡。そのついでに電話がいろいろな人に回る。みんな、少しだけ緊張しているのが分かる。久々に声が聞けて良かった。いろいろあるけど、まだまだ頑張ろう。
心配は冬の訪れだけ。きょうも大学でバザーをやっていたが、古着でも高いこと高いこと。先日、2着を4ドルで買った実績があるだけに、そのレベルをどうしても期待してしまう。それでは雪山の寒苦鳥になってしまうな。どこかでふんぎりをつけないと。
10月1日 秋空は曇り空
日本で秋の空といえば、晴れ上がった抜けるような青空をイメージするが、ここNYでは曇り空が秋の代表的な空なんだそうだ。ここのところ曇って肌寒く、時折雨が降るという天気が続いている。まるで冬のロンドンのようだ。
ここのところ、ようやく授業のペースがつかめてきた。変な教授も、変なTAも、変な授業もすべて含めて何だか様子が分かってきたのだろう。空いた時間はすべて勉強しているような毎日だけど、それでもそれぞれの教授が求めるスピードには追い付いていない。提出すべき課題を優先してやっているので、どうしてもリーディングがおろそかになる。いつかこれがすべてこなせるようになる日は来るのだろうか。
まだまだ先行きは不透明。まるでNYの秋空のよう。
きょうから始まった「Professional Development」という授業に参加した。就職やインターン先を探すために必要な準備や心構えを教える授業で、ちゃんと単位も出る。日本の大学もこれぐらいしなきゃね。resume(履歴書のようなもの)の書き方、インタビュー(面接)の受け方などを習うよう。さっそくresumeについて細かいスタイル、内容の注意点などの講義があった。私は就職先を探す必要はないけれども、インターン先は探さないといけない。切実感はあまりないけど、アメリカの就職活動を横目で見るのもかなり面白い。
「applyではなくhuman networkがアメリカの就職活動」との言葉が印象に残った。何だかんだ言っても、平等ではないのがアメリカの本質。
過去の外勉 9/1〜9/30, 2001
過去の外勉 7/16〜8/31, 2001
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